は薬学が得意なんだね。マグル学より、よくできてる。
 魔法なんてつまらない。こんなことできたって、意味ないもの。
 意味がない? どうして?
 ……魔法を習うより、友達ができることの方が素敵だわ。



「……ん」
 目が覚めると、辺りは真っ暗だった。
(デ、デジャブ?)
 辺りの暗さに驚いて跳ね起きたが、その直後に天上に頭を思い切りぶつけて、鈍い音がした。咄嗟に頭に手を持っていったとき、いつもと感覚が違うことに気がついて、やっと自分が今猫の姿をしていることと、一連の事情を思い出した。
 どれだけ時間が経ったのだろうか。
 眠っていたらしいことは分かったけれど、どれくらいの間寝ていたかなんてことは、感覚的には分からない。ただ、身体が何となく重いことからして、十分や二十分ではきかないのではないかと思う。
(それにしても……)
 昔の夢を見たな、とは痛む頭をさすりながら思った。
 普段は、あまり過去の事実を夢に見たりはしないのだけれど。数年前の、それも印象に残っている出来事とはいえ、意外にはっきりと覚えているものだ。あの頃に比べたら、自分も少しはマシになったのかもしれない。少なくとも「魔法なんて意味がない」などと、考えることはなくなったから。
 魔法がなければ、出会うこともなかった。

 は、普通のマグルの子供と同じように小学校や中学校を卒業した。既に進む高校も決まっていたところに、魔法学校への入学通知が届き、やむなくこの学校に入学したのだ。
 正直に言って最初の一年間は、魔法学校なんて奇天烈な学校に通う羽目になった自分の運命を呪うばかりで、先生のことをじっくり観察する余裕はなかった。それまで同じ学校だった仲の良い友達と離れ離れになっただけではなく、入学が普通より三年遅れたせいで、同じクラスには同い年の生徒が一人もいなかった。同じクラスには――というか、この学校にはと同い年の生徒は一人もいない。生徒数の少なさを思えば、それも別に不思議なことではない。
 日本で、たった一つの魔法学校。もともと日本人の魔法使いというのは少なく、加えて最近は魔法使いそのものの数が少しずつ減っているらしく、この学校には20人ほどしか生徒がいない。教師も外国の学校ほど多くはないし、校舎も小規模なものだ。
 学校は、周囲に小さな町一つ分ほどのスペースを残して、外界から隔絶されている。あるラインを越えると、そこにはマグルの田舎町が広がっているけれど、マグルの世界からは学校の領域内には入れない仕組みになっているのだ。領域を行き来するには魔法を使わなければならないので、マグルの人間が本来学校のエリアに足を踏み入れようとしても、同じところをぐるぐる迷った挙句に町の外れに辿りついてしまう。

 入学当初のは魔力が不安定で、自分で領域を行き来することは難しかったので、学校の領域内に住むしか選択の余地がなかった。それまで養い親のフィリップおじさんと暮らしていたは、町の下宿で一人暮らしを始めた。
 だから、以前からの友達とはめっきり会えなくなってしまったには、友人と呼べる同年代の子供がいなかった。そのことが寂しくてたまらなくて、学校も楽しいとは思えなかったのだ。

 ある日ルーピン先生は、友達がいないからと毎日ふさぎ込んでいるを叱った。
 「自分から何もしないでただ落ち込んでいるだけは、感心しないな」と言われたとき、は何故自分が怒られているのか分からなかった。魔法学校に行きたいと思って行っているわけではないし、入学が遅れたのも同い年の生徒がいないのも自分のせいではない、と思っていたからだ。
 それは確かにのせいではなかったけれど、だからといって誰のせいでもなかった。
 まだ怪訝な顔をしているを見て、ルーピン先生はいつも通りの柔和な微笑みを浮かべての頭を撫で、言った。友達が欲しいなら、まずは自分から話しかけないと。そうしないといつまでも寂しいままだよ、と。
 年下の子でも、クラスは違う年上の子でも、友達になろうと思えば簡単になれる。そうしなかったのは、他の生徒たちが嫌いだったわけでも同い年の子の方がよかったからでもなかった。単に、今までずっと一緒にいた学校の友達と離れて、新しく友達をつくる自信がなかったから。今の状況を恨んで、拗ねていただけだったのだと、はそのとき気がついた。

 暗闇の中で、寝起きのぼんやりとした感覚が遠のく間に思い返した記憶は、夢の中の自分とぴったり重なっていた。
 あれから……。
 四年間この学校に通って、今年無事に卒業したけれど、思い返せばルーピン先生に諭されてからこっちとそれ以前では、まったく人生の色が変わったな、と思う。以前がどす黒いといってもいいくらい暗い青だとしたら、今は澄み切った快晴の空のようで、自分のことながら笑ってしまうくらいだ。
「あのとき先生がいなかったら、どうなってたのかなー……」
 どす黒い色の自分のまま、今このときを迎えていたかもしれない可能性を想像しただけでも、ぞっと鳥肌の立つ思いがする。
(いや、今は猫……肌?)
 は今の状況をはっと思い出して、今度はゆっくり立ち上がった。さっきぶつけた頭はまだじんじんと痛いけれど、打った直後のようにフラフラ座り込むほどではない。
 そうだ、早く帰らないと。
 少しの間身を隠すだけのつもりが、睡魔に勝てず時間の感覚もないなんて、情けない。
「よい、しょっと」
 渾身の力をこめて引き戸を横に引くと、暗闇に慣れた目にも厳しくない淡い光が飛び込んでくる。完全に真っ暗ではないので、恐らく夕方の遅い時間だろう。
 スネイプ教授はさすがにもう帰っただろうか。
 ルーピン先生を訪ねてきたのなら、先生は外に出ていたからきっと会えていないし、部屋の中でずっと人を待ち続けるタイプには見えない。
 するりと外へ出ると、清々しい空気で肺が満たされるのを感じた。あの引き戸の中は、思った以上に埃っぽかったらしい。図書室を出てルーピン先生の部屋へと向かっている間にも、鼻のむずむずは収まらなかった。


「ちょっと、寝てるの? 起きてってば」
 扉に前足で触れながら大きな声を出すと、獅子のノッカーは口元をもごもごと動かしてから億劫そうに目を開けた。
「うるさい。わしは疲れとるんだ」
「ご、ごめんなさい」
 ノッカーは、事情は知らないが出てきたときよりも大分消耗していた。眠っているなら起こさないと、と思って声をかけたのだが、どうやら目を閉じて休んでいただけらしい。スネイプ教授に何かひどいことでもされたのだろうか。
「疲れているところ悪いんだけど、部屋に入れてもらえない?」
「……今は入らない方がいいと思うぞ」
「え? それってどういう……」
「お前の会いたくない奴が、中にいる」
「会いたくない奴?」
 が首を傾げるのと、ノッカーのついたため息と同じくらい重い音を立てて扉が開くのとは、ほとんど同時だった。
 いやに素直に開けてくれるんだなあ、と思ったのも束の間で。

 廊下の暗さからしたら眩いくらいの光を遮るようにして目の前に立つ、一人の人物の顔を見上げて、は息をのんだ。

「ス、スネイプ教授……!」