夢うらはら


 最近、身を以って感じることがある。クリスマスに開催されるダンスパーティが着実に近づいてきている、ということだ。昨日は夕食時、今日は夕食前。少しは時と場所を選んで欲しい。僕は、泣きそうな顔で自分の前から足早に去っていく金色の髪の女の子を、どんよりと重い気分で見送りながらそう思った。「ねぇ、今ので何人目?」隣で、顔を覗くようにして面白そうに尋ねてくるを無視して、僕はまた歩き始めた。

「リーマスってば」
「ついてこないで」
「やだ。何を逃げるのよ」
「別に、逃げてるんじゃない。君のことが鬱陶しいだけ」

 ついてくるなと言えば言うほど彼女がしつこく付きまとうことは明らかなので、僕はもう彼女を無視することに決めた。けれど今日の彼女は普段と違って、無視したぐらいでは興奮が収まらないらしくて。「ねぇってば、聞いてる?」僕はとてもイライラしていたから、彼女のしつこさにいつもの何倍も早いスピードで嫌気が差して、彼女が次の言葉を告げる前に素早く振り返り、気がついたら「誰かに構いたいなら、他の誰かにしてくれない?もう、うんざりしてるんだ」と言ってしまっていた。

 別に気に病むことなんてない、悪いのはなんだ。自分は悪くない。悪くない。確かにそう思っているのに、まずい、とも感じている。それはきっと、彼女が何の反論もしてこないからだ。「何よリーマスの馬鹿!」とか「後悔しても知らないんだからね」とかそんな言葉も聞こえてこない。気まずくて顔が見られないので彼女がどんな表情をしているのか分からないけれど、笑っていないことだけは確かだ。いつもいつも気ままな彼女に腹を立てていたはずなのに、いざ彼女を怒らせたとなると、僕はこんなにも情けない男になってしまうのか。自分への失望と、先の発言に対する後悔とで、僕は頭を抱えたくなった。

「私が、一緒に行きたいなんて言ったら、あなたはびっくりするんでしょうね」

 え?と視線を上げたときにははもう目の前にはいなくて、背中を向けて走り去る彼女の後姿だけが妙に美しいかたちで脳に焼きつく。この光景、さっきもあったような気がする。空腹のせいでいつもより思考能力が低下しているのに、その上からさらに負の要素が加わって、僕の頭はもう何かを冷静に考えられる状態ではなかった。まったく、本当にどうかしているんだろう。後輩の女の子を泣かせたことよりも、鬱陶しいと思っていた同級生の落ち込んだような声の方が気にかかるなんて。

 そんなどうかしている頭が命令するまでもなく、足は本能的に夕食時の大広間へと進む。テーブルに着いて正面を見ると、ジェームズが自分の皿の上の食事も放って、隣の席のリリーに一生懸命話しかけていた。リリーは僕が見ているのに気が付いて、隣のジェームズの言葉に「はいはい」と返してから、僕の方へ身を乗り出した。

「リーマス、あなたがどこ行ったか知らない?さっきから見当たらないのよ…夕食に遅れたことなんてなかったのに」
なら、さっき…」

 言いかけて、言葉をぴたりと止めた。一体リリーに何と説明したらいいのか、さっぱり分からなかったのだ。を怒らせたとあってはリリーは僕を放っておかないだろうし、さっき出会ったと言ったらきっと彼女はどこへ行ったかしつこく尋ねて来るだろう。「…さっきの授業には出ていたけど、それ以降は知らないよ」僕は答えた。は今、独りにしておいて欲しいに違いないから。リリーは、「そう」と意外にもあっさりと身を引き、再びスプーンを手に取った。でもスープを口に運ぶ前に、「最近、様子が変だったの。何かあなたのことで悩んでるみたいだったわ」と小さな声で、独り言のように言った。

「そう言えばジェームズ、シリウスは?」
「あいつ、まだクィディッチの練習してる。この間の試合で負けたのが余程悔しかったんだろ」


* *


?」
「…シ、シリウス」

 何してるんだよ、と相変わらず馬鹿にしたように笑う。いつもなら、そっちこそ何してるのと言い返すことだって出来たはずなのだけど、彼は今クィディッチのユニフォームを着ているのだし、わざわざそんなことを聞くのも馬鹿らしいように思った。そのまま通り過ぎてしまっても良かった。でも何となく別れ辛い雰囲気だったので立ち止まっていると、シリウスはやけに深刻な顔をして私のほうをじっとりと見た。

「お前、夕食は?」
「…もう食べたわよ」
「嘘だろ。いつも最後のデザートまで粘るくせに」
「何よ、シリウスのくせに、ほっといて!」
「あ、おい!」

 あぁ、また。私には失敗から学ぶという人間の基礎的能力が備わっていないのだろうか、なんて真剣に悩んでしまうぐらい、自分のこの癖とは長い付き合いだ。シリウスの前から逃げるように走り去って、誰にも見つからないと確信できる柱の隅にうずくまって、生温い涙を懸命に拭う。どうして私はこうも、人の気持ちを考えずに発言してしまうのか。どうせならその後後悔しないほうが、それで皆から嫌われて、相手にされなくなる方が、周りのためにもいいんではないだろうか。でもそうなったら私は…。その自問自答も何度も繰り返した。馬鹿みたい、ではなく正真正銘の馬鹿で、愚かで、救いようがない。

(お腹空いたなぁ)
 ぐぅ、とお腹が鳴る。こんなに人間じみていない私でもお腹が空くなんて、と半ば本気で考え始めたとき、ふと、もたれていた壁が扉であることに気が付いた。ここに扉なんてあったかしら。そう思いながら私は立ち上がって、その見慣れない装飾の扉を見つめた。扉は、開けてと言っているかのように静かに佇んでいて、好奇心旺盛な私には開けないでいることなんて出来なくて、だからそうっとドアノブを握って開けてみた。

 ひとたび足を踏み入れると、部屋の中は驚くほどに明るく、暖かく、いい匂いに包まれていた。匂いの正体はテーブルの上にずらりと並んでいる、クリスマスイブの晩のような豪華なディナー。ガーリックチキン、ラザニア、ポタージュスープ…たくさんの美味しそうな食事に、思わず目を奪われる。そしてチキンのいい匂いに誘われるように、私は部屋の中央へ行ってみることに決めた。怪しげなものに出会ったらまず警戒すること、そして身の安全を確保すること、といういつも肝に銘じているマクゴナガル先生の教えなど、頭を過ぎりもしなかった。

 ガン!
「ぎゃっ、!」

 右足を一歩踏み出した途端に、背後の扉が開いて私の後頭部を直撃した。いきなりの鋭い衝撃に、大方引っ込んでいた涙がまた溢れて、痛いのと訳が分からないのとで、とにかく立っていられなかった。私がその場にしゃがむと、僅かに開いたドアの隙間から誰かがするりと部屋の中へ滑り込んできて、私の姿を見つけて「やっぱり」と言った。その声に聞き覚えがあるので恐る恐る顔を上げてみると、なんと今一番会いたくない相手、リーマス・ルーピンだった。

「ど、どうしてここが」
「シリウスに聞いた」
「……」
「話したいことがあるんだ」

「リリーにも言われた。僕は人の気持ち分からなさすぎるって。その通りだ。君をこんなに泣かせるなんて思わなかった」

 それは少し違う、と言いたかったけれどきっとぐちゃぐちゃであろう顔をまた彼に向けるのが嫌で、口をつぐんでいた。でも、心の中の私は顔を上げたくてしょうがなかった。本当はその胸の中に飛び込んでいきたくて、その衝動を抑えるのに必死で。まるで迷子が不安で泣くように、延々と、涙は止まらないし。
 いつまでも隠し切れない。いくら彼が気持ちに気付かなくたって、私が素直になれなくたって、隠し切れない。そう確信した。だから想いをはっきり伝えよう、と思って顔を上げたら、ふわりと体が触れ合って、思考がやれやれと追いついたときにはもう既に彼の肩におでこを押し付けていた。

「さっきはごめん。君の気持ちも考えずに」
「わた、わたしこそ、ごめんなさ」

 あぁこれは、現実?それとも夢?分からなくなって、私は考えた。きっとこれは、彼に抱きしめられるという何ともおめでたい私の夢なのだ。そうでなければこんなに混乱するなんて、こんなに嬉しいなんて、こんなに強く彼を抱きしめ返しているなんてこと、絶対にないはずだから。

「早く帰ろう。お腹空いてるんでしょ?僕も、まだ何も食べてないんだ」
「す、空いてない。それに、ここにたくさん食べ物があるわよ。そうよ、どうしてここが分かったの?」
「…この部屋、本当にお腹が空いている人しか入れないんだよ。知ってた?」
「え、そんな…そんなこと聞いてないわよ」
「はいはい。ほら、リリーが心配して待ってるから、早く帰ろう。ね?」

 私が言葉に詰まったので、彼はにっこり笑って私の手を取った。その時、あまりにも彼が幸せそうに笑うから、美味しそうな食事を食べるより彼に素直に着いて行きたくなったなんてことは、内緒。



*「Dance in the dream.」に微妙につながってます