それが夢であるということが、雲がずっと動いていないのにも関わらず、私には分からなかった。 目が覚めてしまえば、リアリティなんてせいぜい、来ていた服がこの夏お気に入りのワンピースだったことくらいにしか見つけられなかった。それでも起きて数秒経つと、さっきまで夢に見ていた情景を鮮明に思い出すのだから、現実味というものの定義がますますよく分からなくなる。 私はそよ風の吹く道に一人で立っていた。ところどころ水溜りのある砂利の一本道は彼方まで続いている。その両脇を囲む、左右見渡す限りの花畑が鮮やかにそよいでいた。 空には大きな雲の塊がぽつぽつと低く点在して、頭上を支配していた。こんなに美しく花が咲いているのに、蜂の飛ぶ音はちっとも聞こえない。それ以前に、風になびく自分のワンピースの裾が目に入っているというのに、風の音も何も聞こえないのだけれど。 誰かいますか、と叫びながら耳をすませたが、きちんと声帯が震えている感覚はない。もちろん、私の声に応える声も。 私はふと怖くなった。 何が恐ろしいのかもよく理解しないまま、パニックに襲われて走りだした。前に進むのは気が引けて、後ろを振り返って足をがむしゃらに動かした。不思議と足がもつれることもない。風景は延々と変わらず、走っているスピードよりも速く花畑がスライドして行く。 ああ、ああ、ああ、どれくらい走れば、この景色は終わるのだろう……。 「――」 小さな声で私を呼ぶ声が聞こえた。やっと私の声に応えてくれる人が現れたのか、と安堵すると同時に、目が薄く開いた。眩しい、という感覚と一緒に、夢を見ていたことに気がつく。 「ん……?」 誰かの手が頬に触れているのが分かって、焦って首を動かすと、私の横になっているベッドの横にシリウスが座っていた。まだ明るさに順応していない目を瞬かせて見返すと、彼は表情を和らげて私の頬をスルスルと撫でる。 「……泣いてたぞ」 「そ、……う、みたいだね」 無意識に口元だけで笑みを作ると、寝起きの上にメイクも崩れてきっとこれ以上ないほど不細工な顔だっただろうに、優しいシリウスはほんの少し笑い返してくれた。彼の方は、久しぶりのパーティだからと張り切って髭を剃り髪を整えていた夕方に比べれば多少くたびれた感じはあるけれど、それでも若き日々女の子たちを引き付けた美貌は未だ健在だ。 きゅっと目を細めてその顔を見ていると、あることに気がつく。 「あれ? パーティは?」 「もうとっくにお開きになってる。が飲み過ぎてソファで眠り込んだから、ついさっきここまで運んできたところだ」 ここ、とは私が今日一晩借りることになっていたシリウスの家の一室――ではなかった。疑問に思って尋ねようとすると、先手を打つようにシリウスがぴしゃりと言った。 「客用の部屋まで運ぶ体力が残ってなかったから、俺の部屋。お前、結構重かったし」 そりゃあもう羽根のように軽い少女の時期は過ぎたもの、と苦笑すると、彼の方が焦り出して、いや実はそこまで重くはなかったとか、寝ている奴は誰だって重いものだとか、しどろもどろになっている。 可愛いな、と微笑ましくて頬に触れていた手に自分の手を重ねると、シリウスの瞳が曇った。 「嫌な夢でも見たか?」 「そうね。嫌な夢だった。……でも、大丈夫」 「本当か?」 「私は嘘はつきません」 そうだな、とシリウスは納得して、また少し微笑んだ。 「まだ朝まで時間があるし、ここで寝てろよ。俺は居間で寝るから」 「そんな、悪いよ。私が居間で寝る」 「お前は……ここまで俺が運んできた労力を無に帰すつもりか」 「でも」 渋る私の手を放して、シリウスは立ち上がり際に私の額の髪をかき分けてそこにキスをした。 「いいから寝てろ」 厳しくも、優しくもあるその声が、彼が出て行ってからもずっと部屋の中に響いているように感じられた。掛けられた布団も、枕も、全部彼の匂いがする。 一人なのに、一人の気がしない。 (……そういえば) まどろみながら、不意に昔のことを思いだした。 もう何年も前のことだ。シリウスが、さっきみたいに私の額にキスをした時のこと。 何がきっかけだったのかも忘れてしまったくらい遠い過去の出来事なのに、その時の彼の顔だけは、はっきり思い出せる。さっきと同じ表情。 大丈夫だ、心配ないからと、黒い瞳が強く語りかけている。 私はしっかりと目を閉じて、彼の匂いに包まれながらもう一度眠りについた。 ... ひ と り だ け れ ど ...
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