何となく悲しい気持ちになったのは、別に彼と離れ離れになるからとかそういう見え透いた理由だけじゃなくて、ホグワーツとか友達とか厳しかったけど大好きな先生とかイギリスとか、そういったものたちとこれから二度と会えないかも知れないから不安だとかそういうものでもなくて(それは何となくなんてものではなく本当に心の底から悲しかった)、唯単純に自分の七年間は意義があったんだろうかと考えてしまったからだった。自分で自分を否定してしまったらもう誰も擁護してくれる人なんていないというのに、何だか追い詰められたような気分になって、それでまた自己嫌悪に陥る。こんな馬鹿は世界中どこを探しても自分くらいだろう。ホグワーツを卒業する日がいつか来ることぐらい馬鹿な私でも分かるけど、そのとき自分が受けるダメージなんて正確には計算したことがなかったから改めてその愚かさに自分で唖然としてしまった。

ぽつんと部屋で一人きりでいると虚しくなって来たから、取りあえず寮の外に出ようと思った。多分今頃フィルチは"彼ら"の最後の度派手な悪戯の後始末をせっせとしているんだろう。これで平穏な生活が戻ってくる、もうあと一日の辛抱だと信じながら。だから今は四階には行きたくない。あの階にはとても親しかった絵画の中のご婦人がいたのに、最後の最後にお別れの挨拶も出来ないなんて、全くついていない。彼女も今頃私が来るのを待っているんじゃないかと思って、少しだけ寂しくなった。でも彼女の目の前でフィルチにどやされるのだけは避けたかったから、四階に行ってみようかというちらりと過ぎった考えをかき捨て、足を図書室に向けた。私がこの学校で過ごした時間のかなりの部分を、図書室が占めているといっても良いほどだった。でも気分は憂鬱だったから、その時の私の足取りは歴代記録を余裕で飛び越えて、史上最悪の重さを記録していたと思う。



少し黄ばんだいつもの扉を開けると、やっぱりそこには書物の独特の雰囲気が漂っていて、意味もなくホッとした。こちらも少し年代物のかなり古びた感じの窓から、「四時ぐらい」という表現しか思いつかない色合いの光が途切れ途切れに差し込んでいる。埃が浮かんでいるのは別にマダムが掃除をサボっているわけでもなんでもなくて、唯単に図書室というのはこういうものなのだ。そしてそういう図書室の雰囲気の一つ一つが私の精神安定に繋がっていたんだと思う。だから一年生のときここへ来て一番最初に思ったことは(落ち着くなぁ)だったけど、今もそれは変わることがない。とても良いことだと思うし、これからも私は本を好きであり続けるだろうとぼんやりとした頭で考えた。何か特別にいい思い出があったわけではない。それなのに私が七年間ここを慣れ親しんでいた理由が、今更になって分かる。私はここで静かに本を読んでいるときの彼を見るのが、すごくすごく好きだった。一年生のころの私には話しかけるなんて大胆なことが出来なくて見つめているだけで十分だったけど、その姿は私に恋をさせてしまうほど鮮烈に瞳の奥で瞬いていた。今も昔と大して変わらない。

座る席は毎回同じところだったわけじゃないが、誰も座っていなければ自然と足を向けていた席へ座ってみる。しんと音を立てずに流れている空気に安堵しながら目を瞑る。それから何だか自分が感傷に浸っているみたいで恥ずかしくなって席を立とうと思って、でも卒業の日ぐらい感傷に浸っても誰も責める人なんていないと考え直して席に座ったままにすることに決めた。誰も責める人がいないということは同時に誰も私のことなんて見ていないということなのかと思った。違うと否定してくれる人がいないのは少し寂しい。

?」
「あ…」

この人はどうしてこうも、計算なしに私を嬉しくさせることが出来るのだろうか。絶妙なタイミングで現れられる訓練のようなものを受けているのだろうか。涙が出そうになったけど努力して引っ込めた。今は泣くときじゃないと、何となく思ったから。私が必死の努力をしている間にも彼は多少疲れたような感じを漂わせながら私に近づいてきて、向かいの席に座った。

「あ、じゃないよ。貴重な時間を費やして探したのに」
「…ごめん。ここは、結構特別に好きだったから」
「そうだね…」
「リーマス」
「なに?」
「ありがと。来てくれて」
「…素直だね?」
「最後ぐらいはね」
「へぇ」

が素直なんて珍しいから面白いよ、と言って笑うから、ばつがわるくなって睨んだ。本当は睨みたくなんてなかったけれどこれは不可抗力だと思うしかない。本当に素直じゃないのは誰だか、と言いそうになった。彼はひとしきり笑うと所在無げに図書室を見回して、マダムはどうしたんだろうねと呟いた。私は、今日だけは時間外でもあなたなら入っても良いわよって言われたと言った。彼はふーんと答え、なら僕は駄目なんじゃないかなぁと多少不安そうに言った。大丈夫よ、と答えておいた。彼も私と似たようなもので、ジェームズやシリウスよりは正しく図書室を使用していただろうと言う妙な自信だけはある。まぁ、彼らぐらい『普通』の領域を遥かにオーバーしている人たちと比べること自体謙遜じゃないかと思うのだが、それを試しに彼に言ってみたら少し愉快そうに笑って「結構辛辣だね」と薄く笑った。私は彼のこの笑いにもっぱら弱い。次の言葉を捜すのに苦労してしまうから。


時間の動きは目にはっきりとは見えないけれど、窓から差し込む光の量が減っているから確実に流れていることは分かる。光は赤みを増してきて、そろそろ黒みも混じってくるんじゃないかと思った。もうあと十五時間ほどしたら確実に私は汽車の中にいて、友達と最後のホグワーツ特急の中でのトランプを楽しんだり、ワゴンで売っている蛙チョコレートの味を覚えておこうと必死になったりと色々苦労していると思うけど、そんな最後の楽しいけど寂しいような切ない時間を過ごすよりはここで彼に告げる言葉を探すことに一生懸命になっていたいとだんだん深くなる暗闇の中で思った。






* *







「そろそろ寮へ戻らないとね」
「……、」

彼の声で唐突に目が覚めた。いつの間にか私は図書室の古びた長机に突っ伏して眠っていた。びっくりして顔を上げると彼は私の向かいで私に心持ち柔らかい視線を投げていて、それと同時に日が沈んでしまったことに気が付いた。冬ではないから体は冷えていなかったけど、辺りが暗いことに体が震えて、でも彼は見えるから不安ではなかった。名残惜しいのとこのまま二人きりでいられたら良いのにという思いを堪えながら席を立つと、彼は少し迷ったような沈黙の後私に手を差し出して、「暗いからね」と少し照れくさそうに言った。私は正直に嬉しくて、少し呆然としていたから間が空いてしまったけれど元気よくその手をとった。この時の彼の手の暖かさは一生忘れないと、自分自身に誓った。誓わなくても出来ると思ったけれど何となくこの日の記念のような何かが欲しかったから。母国へ帰っても忘れないようなものを手に入れた、と宣言したかったんだと思う。

そうなるとやっぱり私は支えがなければならないとんでもなく弱い存在であるわけで、それは多少私を落ち込ませる。今更どうにも出来ないこのループから抜け出せる日なんて来るのかどうかも分からない。けれどきっと明日も明後日も来ることを信じて前に進んでいくぐらいしか私には出来なくて、それが生きていくということなんだろうな、多分。もし私が生きていたら彼は少しでも笑ってくれるかも知れない。だから私は、きっとちゃんと生きてた方がいいんだ。

寮へ戻る途中、壁に飾ってある絵画をふと見たら、息を切らした四階のご婦人が私の名前を呼びながら走っていて、追いかけたら私を見つけてくれた。笑って、さよならと言えた。彼が笑う。



僅かに残った光の輪をくぐりながらダンス