生温い風が、まだ熱を持った頬の横を知らん振りで通り過ぎて、私の体に影を落としている緑色の木の葉を揺らして行く。季節で区切ればもう秋と呼んでも良いような季節なのに、中庭に突っ立っている木の葉っぱは落ちる事をためらっている様に頑として動こうとしないし、湖の水もまだそんなには冷たくない。全てが中途半端な、宙ぶらりんな時期。一年の中では至極僅かなこの短い中途半端な季節が、私は好きだった。この時期にこの木の下で、温い風を頬に感じながら分厚い本のページをゆっくりとめくる事を、長い間待ち侘びていたように思う。三日ほどの間だけ、私のお気に入りの場所は何にも代えがたい季節の贈り物になる。そして木も、私を歓迎するようにその体を揺らして、さわさわと軽やかな音を立てるのだった。 赤くなっているだろう、とそっと頬に手を触れてみると、案の定いつもの体温よりも幾分か熱い。自分の手が冷たいのも加わっているのかも知れない。昔から、顔が赤くなり始めるとなかなか収まらない。あの人はそれを可愛いと言うけれど、私としては何だか自分だけが恥ずかしがっているようなそんな錯覚に陥るので、嫌なものだ(案外当たっているかも知れない、彼は全く恥ずかしがっているような素振りを見せないから)。焦って手で熱を冷まそうと努力してみるものの、空回りに終わった。今度は自分の手が温まってきたのだ。これは相当、さっきのが効いている。はぁ、とため息をひとつだけついて、優しく笑っている木を仰いだ。 私にしては思い切った行動だったと思う。普段の私なら身動きも出来ずにじっとしているしか無かっただろう。嫌な訳ではないけれど、自分の赤い顔を臆面もせずに晒せるほど私は勇敢ではない。彼は自分の行動一つひとつが私を動揺させているのだと、知っている。走って逃げた時、ちらりと振り返ればとても悪戯っぽく笑ってこちらを見ていたから。そんな表情でさえも私を熱くさせ、そして嬉しくさせる。すごくずるいと思う、けれどものすごく愛しいと思う、この気持ちは彼に、間違いなく彼だけに向けられているのだ。恋とはそういうものなのか、はたまた私が異常者になってしまったのかどちらかだと思うけれど、どちらにしろ私にこの想いを止める術はない。いつものようにその場所に存在している木にもたれて、私は目を閉じた。 風が、さっきよりも少し強くなっている。もうすぐお昼をとりに校舎に戻らなければならない。でも、今はまだここにいたい。穏やかな流れに身を任せて、一人ぼっちで浮かんでいたい。昼を抜くぐらいのこと、なんて事はない。寮の部屋には保存食(お腹が空いた時の為に同じ部屋の子と着実に溜めている、保存がきく食料だ)を食べればいい。それが何ならリリーに言って紅茶を淹れて貰えれば、もともとが小食だから事足りるし、今はあまり食欲が無かった。そんな事を、熱が少しずつ冷めて来た頭でぼんやりと考えていると、不意にあの人の声がした。最初は聞き間違いだと思い、目を一瞬開けただけでまたすぐに閉じたが、もう一度聞こえたその声は間違いなく彼の声。どうして私がここにいるのが分かったのかなんて事、聞くだけ野暮だ。逃げた私の後を追って来てくれたに違いない。けれど決して嫌だと感じない、この心の感覚は麻痺してしまったのだろうか。 「」 「いい場所でしょう?」 「そうだね。君にぴったりだ」 「私の、お気に入りの場所なの」 「そうだろうね」 それきり私達は静謐を守って、風の音とそれに揺らされる葉の擦れ合う音に耳を傾けていた。この場所に彼がいても不快に思わないと言うことは、この場所と同じくらい、否それ以上に彼のことが大切で、好きだからだろう。いつも以上に冷静に自分の心を察する事が出来ていることに驚いて、私はつい木から体を起こした。彼がその綺麗な鳶色の髪を少し強い風に揺らめかせながら、こちらを向いた。いつものことだが、彼の表情はとても穏やかだ。その奥にある何かなんて閉じ込めてしまえるほど、世界の全てを愛しているような優しい目で私を見ている。自分が彼に大切に思われていることが分かって、私はくすぐったい様な、恥ずかしい様な、けれどとても幸せな気持ちに包まれる。彼以外に私をそんな気持ちにさせる人はいない。 「僕は、自分の気持ちをあまりよく制御出来ないみたいだ」 「え?」 「さっきだって、自分を抑える事が出来なくて」 「…リーマス?」 「ごめん」 「ちょ、ちょっとリーマス、どうしてあなたが謝るの。謝りたいのは私の方だって言うのに」 「え?」 「逃げたみたいな事になってしまって…いいえ、逃げたんだわ私は」 「、落ち着いて」 「落ち着いてるわよ。…いいわ今言う。私、リーマスにならキスされたって何されたって全然構わ…」 そこから先の言葉は発されることなく私の中で燻ってしまった。目を閉じていると、唇から伝わる温かい感触を感じる。さっきはただドキドキして何も考える暇が無かったけれど、今は何だか温かい気持ちでいっぱいになった。時が止まったように感じてもさらさらと絶え間なく風は流れていて、相変わらず葉はお互いに体を擦り付け合い、音を鳴らしている。まるで私と彼を覆う目には見えないベールがあって(あるにしろないにしろ今の私には見えないけれど)、そこだけ時間から隔絶されているような、そんな錯覚に陥った。 やがて彼は唇をゆっくりと離し、私の瞳を見ながら笑った。 「やっぱり、抑えられないみたいだ」 |