The Letters 彼女からの手紙は、いつもこんな書き出しだった。 《 ごきげんようリーマス。今どこにいるの? こっちはとても元気にやっているわよ。 》 彼女の飼っている梟が、長旅の疲れを滲ませた羽音で近づいてくる時、僕はいつもその書き出しを頭の中に蘇らせる。手紙を開くと、一番上には四葉のクローバーが押し花にして貼ってある。少し退色してはいるけれど丁寧に貼り付けられたそのクローバーのすぐ下に、思い浮かべた通りの文章があって、そこからの手紙は始まっている。 手紙が届くのは、数ヶ月に一度。僕は手紙を読み終わったらなるべくすぐに返事を返すようにしているけれど、彼女からその僕の返事に対する返事が返ってくるのは、1ヶ月後だったり、3ヶ月も経った後だったりする。その間に僕は、世間一般ではおそらく"危険レベル:高”と認知されるであろう仕事をしなければならないので、からの手紙に自分がどのような返信をしたのか、ほとんど覚えていられない。 僕は、滅多に飲まないビールの瓶を片手に、昨日届いたの手紙をもう一度開いて読み始めた。 《 あなたのことがとても心配だわ。無茶な仕事をさせられているんじゃないの? 私の梟が問題なく(多少疲れてはいるけれど)帰ってこられているから、まだアラスカや砂漠地帯ではないわよね。私の梟ったら、ちょっと心配になるくらい寒暖の差に弱いの。 学生だった頃も、雪が降った日はぴくりとも動かないものだから、私たち心配になって、ハンカチを掛けてあげに梟小屋まで行ったわよね。私の顔を見たら、手紙を出しに行かされると思ったのかしら、嫌そうに小屋の奥まで逃げるんだもの。おかしかったわ。他の人のことはつっついたりしていたけれど、あなたのことだけはすごく気に入って、傍にいたがってた。あなたも「暖かいから」って理由でそれを許して、鳥臭かろうが足元の絨毯にフンをされようが気にしないで笑っていたわよね。 あの頃のこと、一緒に過ごした7年間のことを思い出すと、とても幸せな気持ちになるわ。本当に素敵な思い出ばかりだった。覚えているかしら、変身呪文を間違えてしまって、私の髪がいきなり燃え始めたときのこと。毛の先からチリチリして熱いと思っていたら、隣の生徒が悲鳴を上げ出して……私もパニック状態で何も対処できなかったから、後ろの席のあなたが消してくれなかったら私は今頃、尼さんになっていたかもしれないわね。 》 そこまで読んで、僕はビール瓶をサイドテーブルに置いた。ごとりという重い音に驚いたのか、膝の上で我が物顔で寛いでいた猫がぴくりと両耳を上げて目を開けた。 「尼さんになられたら、困るかなあ」 猫の耳もとを指の背でくすぐりながら、一人ごちる。久しく使っていなかった口回りの筋肉が、ゆっくりとほどけるように柔らかくなるのを感じた。彼女は昔から、僕を笑わせることに関しては天才的だった。件の事件の時も、燃えた髪を先生に元通りにしてもらった後は、彼女自身がそれを笑い話のレパートリーに入れて、時折周りを楽しませていたっけ。 と仲良くなったのも、その事件がきっかけだった気がする。 それまでは同寮で同学年の女の子としか見ていなかった。僕は学内では言わずもがなの有名人たちと親友で、彼女の方は――誤解を恐れずにいえば、これといって目立たない普通の――いや要するに、常識的なよい生徒だった。当時の本人曰く『優等生って言うには少し惜しい』成績をキープしていたし、教授たちに目をつけられることも、誰かに特別に気に入られることもなく、魔法学校を楽しんでいた。普通なら、僕のような『異常』な生徒とは関わりを持たないタイプの人間に見えた。 ところが二年生の時に起こったその事件があってから、僕とは時々寮内や廊下で会う度に世間話をして笑い合う仲になっていた。 そうして何年か過ごしている内に、五年生になって。 再び事件が起こった。 僕は再び手紙に目を落として、ニヤリとした。 《 事件っていえば、5年生のときも酷かったわね。 あなたの秘密を知ったときは特に驚かなかったわ。むしろ、知らされるのが遅かったことが無性に腹立たしかった。分かっているのよ、そんなことおいそれと打ち明けられないし、信頼関係を築くのには(あなたのケースじゃとくに)時間がかかるし。でも、自分がピーターに嫉妬する日が来るとは思っていなかったから……いいえ、今のは嘘。正直に言って、あなたといつもいつも一緒にいられる彼らに、毎日嫉妬していたの。 ともかく、私が魔法を使えなくなったことであなたにも迷惑をかけてしまったことは、今でも悪かったと思ってるわ。それほどショックだったのね。怒りとか恐怖とかもあったかもしれないけれど、一番はあなたの抱えている問題があまりにも深刻だったから、自分もそれに対処できるくらいにならないと、っていう焦りがあったのかもしれない。 魔法が使えなくなってから、実家に戻っているときにジェームズから手紙が来たのよ。詳しい内容は忘れちゃったんだけれど、物理的なサポートは自分たちがやっているから心配するな、精神的なサポートは私にしかできない、みたいなことが書いてあったかしら。それを読んで、悔しいけれど泣いてしまったわ。彼が人気者である本当の理由っていうのが、そのとき初めて分かった。 》 そこで、僕は口に含んだビールを噴出しそうになった。 猫は本格的に眠りに落ちてしまったようで、僕の膝が多少揺れても目を覚まさない。 ジェームズといえば、在学中は多くの生徒にとってヒーロー的な存在だったのに、は全くそう考えていなかったみたいだ。少し人とは違う考え方をもっているらしいけれど、と僕はまた飾らない文面を見つめて微笑んだ。 《 ジェームズのおかげで魔法がまた使えるようになって、ホグワーツに帰ったとき。リーマス、あなた私の顔見て何て言ったか覚えてる? ――ここで上からぐちゃぐちゃと文字を消した形跡がある―― とにかく私、すっごく恥ずかしかったんだから。あなたの勇気にはとっても感謝したけれどね。おかげで正々堂々とあなたの隣にいられるようになったわけだし……。思い出したら、ジェームズにもお礼を言いたくなってきたわ。あなたへの手紙の後で、彼にも手紙を書かなくちゃ。 あら、近況を報告しようと思っていたのに、昔の話ばかり書いてしまうのはどうしてかしら。卒業して二年も経ってしまったけれど、今でもすごく鮮明に思い出すわ。その度に、あなたは今どうしているのか、無事でいるのかってそればかり考えているの。本当は毎週手紙を送りたいんだけれど、あんまり頻繁に送るとあなたが面倒に思うかもしれないし……大丈夫、今は、会えないって分かっているわ。 ただ、あなたのことを支えられているかどうか自信がなくなっちゃうから、返事は頂戴。短い文でもいいわ。この間なんて、『愛してる、無事だよ』とだけ書いてあったけど、それでも私は構わないから……いいえ、できればもっと長い文がいいわね。読むのに一時間くらいかかっちゃうような手紙を待ってるわ。愛してる。 》
ビールは既に温くなっている。 僕は手紙を手に持ったまま大きなため息をついた。 今日の仕事の疲労感、充足感、それらをこれ以上ないほど抱えながらこのソファに腰掛けたはずなのに、今はもう、はやく夜が明けないかとそわそわしている自分に気がついた。早くここでの任務を終えて、本部に戻りたい。 に早く会わなければならない。 彼女はよく笑う方だが、普段は毅然としていて、周囲から頼りにされるしっかり者である。こんな返事をねだるような手紙を送ってきたことは今までなかった。それが嬉しくもあり、心配でもあった。彼女の周りには仲間がたくさんいるはずだが、果たして彼らにうまく甘えられているのだろうか。 いずれにせよ、もう既に仕事の目処はついている。彼女の次の手紙が来るまでには、本部に戻れるだろう。 僕は私用の便箋の束を取り出して、羽根ペンを握った。彼女が読むのに数時間はかかりそうな、長い手紙を書かなければならない。 夜が明けて、この便箋がなくなってしまうまで。 |