朝食を食べ終えて談話室に戻ると、私は空いているソファのところへ親友を引っ張って行った。
 朝一番の授業がある生徒以外、グリフィンドール寮生のほとんどは談話室でくつろいでいる。だから朝食後の今の時間帯は、混んでいるとまでは言わずとも、空いている席を探すのが難しいくらいには人が多い。いつも通りの、わいわいと賑やかな空間だ。
「早く、早く!」
「ハイハイ」
 親友のリリーは、しょうがないなあという風に笑いながら、と並んでソファの端に座った。
 リリーの隣に腰を下ろして、わくわくと彼女の持っている箱を見つめる。
 まだどこか真新しい細長の箱を開けると、リリーは中から円筒状の小物を取り出して私に渡した。
「ありがとう、リリー!」
 きっと小さい子供のように輝いているだろう私の目を見て、親友はニッコリと微笑んだ。
「使い方は分かる?」
「えーっと……本で読んだことはあるんだけど。ここを覗けばいいんだよね?」
「そうよ。ゆっくり回しながらね」
 片目をそっと円筒の先に当てて覗くと、中にはキラキラと輝く色とりどりの星が見えた。




そこに光る星




「万華鏡か。へえー、面白そう。僕にも見せてくれない?」
 にょき、と私とリリーの間に割って入るようにジェームズが顔を出した。
「ちょっと、ジェームズ。……ごめんね、お二人さん」
 その後ろから、申し訳なさそうな柔らかい声が追いかけてきた。その声を聞いた途端、胸がドキリと大きく鳴った。まるで顔中に血を集結させる命令が脳から出されたみたいに、頬や頭が急にカッカとし始める。
 もう何度目か分からないくらいこんな風になって、少しは心の余裕が保てるようにはなったけれど、私の心臓はいつも面白いくらい反応した。
「ジェームズ……に、リーマスじゃないの。今はだめよ。シッ、シッ」
 リリーが苦い顔を作って手で追い払う仕草をしたが、ぞんざいな扱いに慣れている彼はまったくめげる様子もない。
「それ、リリーのでしょ。今朝のふくろう便で届いてたよね」
「何よずっと見てたの? 相変わらず悪趣味ね」
「そりゃないよ、リリー! 美しい人を見ていたいというのは人間の自然な欲求なんだ」
「あら、どうもありがとう。でもお生憎様、私は朝っぱらからペラペラと喧しい人の美学なんて興味ありません」
「僕のことばは君に愛を囁くためだけにあるんだ。君の前でだけ自由に息ができるんだよ」
「へええ。それは重たい病気ね。同情するわ」
 リリーとジェームズの痴話げんか(と言っていいのかどうか分からないけれど)を聞き流しながら、くるくると万華鏡を回していると、上質な布張りのソファが軽く沈んで、隣に誰かが座った気配がした。
 まさかと思い横を向くと、リーマスが隣に座ってこちらをじっと見ていた。
「どう?」
「え、えっと……すごく綺麗だよ。見る?」
「うん。見せて」
 彼の片目が閉じられているのをいいことに、早速覗き穴に目を当てているリーマスの、ちょっと楽しそうな横顔をじっくりと見つめてみた。普段はわりとおっとりとしていて、あまりはしゃいだり騒いだりするタイプではないように見えるけれど、興味のあることには前のめりになってしまうあたり、やっぱり悪戯仕掛人の一員なんだな、と妙に納得してしまう。
 ――可愛いなあ。
「……え?」
 リーマスが、不意に万華鏡から目を離してこちらに顔を向けた。
「え?」
「今、何か言った? ごめん、よく聞き取れなかったんだ」
「いっ、いや、何も言ってないけど」
 まずい、さっきの最後の本音は、どうやら口に出ていたらしい。聞こえていなくてよかった、と胸をなでおろした。
 いくら寛容なリーマスと言えども、同学年の女子に可愛いなんて言われて嬉しいと思うわけはないだろう。私が、彼に「男らしくて格好いいね」と言われてもきっとあまり嬉しくないのと同じように。
(……いや、ちょっと嬉しいかもしれない)
 もちろん、「可愛い」の方が数倍幸せになるだろうけれど、格好いいというのはつまり何かしらの姿勢を認めてくれているということであって、プラスのイメージが強い。
 まあどちらにせよ、私には彼にそんな言葉をかけてもらえる要素はないのだけれど。
「――は、星好き?」
 万華鏡を覗いたら星が見えたのか、リーマスは唐突に私に尋ねた。
 よもや彼からそんな質問が飛んでくるとは予想していなかった私は、思わず目を瞬かせて、それからこくりと頷いた。
「す、き……かなあ。月もいいけれど、星は物語が見えるから」
「物語?」
「神話の本を読むと、星を見るのが楽しくなったよ。天文学の先生から借りたの」
「それはいいな。僕も借りようかな」
 リーマスは、授業の予習になるかも、と少し悪い顔で笑った。
「なに、何の話してるの?」
 つんつんと背中を突かれて振り返れば、先程までジェームズと言い合っていたはずのリリーがすっきりとした顔で微笑んで小首を傾げている。
「リリー。……あそこでしょんぼりしているのは、ジェームズ?」
「彼は放っておいてあげましょう。かわいそうな病気なの」
 病気の原因は間違いなくあなたなのにと言いかけて、私は寸でのところで口を噤んだ。私を挟んでリリーの反対側に座っているリーマスも同じことを思ったのか、何か言いたそうに身じろぎする気配がした。
「えーっとね、いま、星の話をしてて」
「万華鏡じゃなくて? あ、そうか。は天文部だったわね」
「天文部? そんなのがあるんだ」
 天文部、という言葉にリーマスが反応した。
「部……っていうか、ごくたまに先生の許可をもらって天文台で星を見てるだけなんだけどね。活動人員、私一人だし」
 何だか途端に恥ずかしくなって、「とても部と呼べるようなものじゃないの」と手を振った。天文学の授業は、つまらないと言ってサボる学生が多いから、授業時間外に一緒に星を見ませんかなんて誘えそうな相手を探すのも一苦労なのだ。
 それに、一人で天文台まで上って静かな時間を過ごすのも、嫌いではない。日頃のほどよい喧騒から隔絶されたあの空間に身を浸すのは、時々センチメンタルが行き過ぎることがあるけれど、穏やかな思考と仄かな星の光以外に何もない、特別な解放感があった。
が星好きだって知ってたから、きっとこれも気に入ると思って、家から送ってもらったのよ」
「へえ」
 リーマスがリリーに万華鏡を返すと、彼女はフフンと勝ち誇った笑みを浮かべた。リーマスの方はというと、返答に困って複雑な顔をしていたが、ふと何か思いついたように私に向き直った。
「ねえ、。次の天文部の活動はいつ?」
「えっ? えーと、別にいつと決めているわけじゃないんだけれど」
 見たいと思ったときに、という私の言葉を聞いて、リーマスは頷いた。
「よし。じゃあ、今日見ようよ。僕も参加したい」
「あら、それなら私も」
 リーマスの提案に即座に乗ったリリーであるが、彼女の挙げられた腕は背後から現れた手にそっと掴まれた。
「ダメだよ。リリー、君は今日例のパーティに出るんだろう?」
「……こっちの方が大事だもの」
「一度休んだら、しつこく理由を問いただされるって前に愚痴をこぼしていたじゃないか」
「……」
 珍しく、リリーがジェームズにおされている。と思いきや、彼女はすっくと立ち上がり、腕組みをして私たちを見下ろした。
「リーマス。話があるの。来てくれない?」



 ――話って、何だったの?
 言いかけて、やめる。ということを、さっきからずっと繰り返していた。
 夕食を食べ終えてから、二人で天文学の授業に使う塔まで上ってきた。
 きっと、私には関係のない話なのだろうけれど。リーマスと話があるからと言って席を外したリリーは、帰ってきてからあまり機嫌が良くなかった。それでますます話の内容に想像がつかなくなる。リーマスの方は普段と変わらない様子でニコニコとしていたから、余計に分からない。
 本当に気になるのなら、ズバッと聞く方が潔いのだろう。
 しかし、それができれば苦労はしない。
「朝見ていた万華鏡ってさ、リリーの妹さんのなんだってね」
 私が悶々としているのを知ってか知らずか、リーマスが何気ない口調で切り出した。
「えっ、ああ、……そうみたい」
「確か仲たがいしていたんじゃなかった?」
「リーマス、知ってるの?」
「以前、一度駅で見かけたことがあるんだよ。後でリリーに『かわいい妹さんだね』言ったら、『喧嘩中なんだけどね』って返された」
「……仲直りは、まだできていないみたいだけれど」
 どうやら根が深いらしいが、原因は教えてもらっていない。その話を持ち出すと、彼女はきまって動揺を押し隠すように笑顔をつくるから、私も家族のことを聞かないようになった。彼女の悲しんだり傷付いたりしたことを思い出しているような顔は、なるべくなら見たくはない。永遠に目を背けて、かわいい笑顔だけ見ていたい。
 そんなのは本当の友達ではないよと、私の中の誰かが言うけれど。
「本で読んだ話をしたら、家にあるから貸してあげるって言われて。妹さんと一緒に買ってもらったものなんだって」
「そう」
「……リリーがね、前に言ってたよ。家族のことを考えていると、星空が見たくなるって」
 万華鏡を覗いていると星空が見えるでしょう、と言うと、隣で同じく寝ころんでいるリーマスと目が合った。
 向き合った視線はあくまでも真摯だった。あまりにまっすぐで、直接受け止められずに、ほとんど無意識で視線を外してしまうほど。
「――本当の友達って、何だと思う?」
「え?」
 リーマスがぽつりと、まるで自分自身に問いかけているみたいに尋ねた言葉に、私はうまく反応することができなかった。咄嗟に隣を見ると、彼は天井の光に目をやっていた。それを見た瞬間、私の胸はびくりと震えた。
 彼がリリーみたいな、寂しい時の彼女のような、顔をしていたから。
 これは、寂しい気持を思い出している顔だ。
「私は……」
「うん」
 迷っていると、あたたかい相槌が与えられて、ホッとする。
「……自分に向けてくれるものを、全部受け止めてあげたい。信頼も、苛立ちも」
 なかなか難しいことではあるけれど、やってできないことではない。そう信じていると言った方が正しいかもしれない。
 リーマスは、口元に片手を当て、目を細めて笑っている。
らしいなあ」
 笑うなんてひどい、という顔で隣を見ると、彼は慌てて手を振った。
「……あ、笑うのは馬鹿にしているんじゃなくて、嬉しくなっただけだから」
「……嬉しい?」
「好きな人が、素敵な考え方を持ってる人で、嬉しい」
「えっ!?」
「さて。そろそろ消灯の時間だから、帰ろうか」
 さっきの自分の台詞の上から覆いかぶせるようにそう言って、リーマスが起き上がって私に手を差し伸べてきたけれど、私の思考回路はフリーズしていて、その手を取るまでに相当に長い時間がかかってしまった。

「実はね、さっきリリーと、君をどういう風に奪い合うかの取り決めをしてきたんだ」
 もう何も驚くまいと、熱くて熱くていい加減どうしたらいいのか分からなくなってきている顔のほてりを隠すために俯いていたが、手を引く彼の追いうちのような言葉が聞こえて、反射的に顔を上げた。
「……う、うばい、合い?」
 尋常でない響きのする言葉を、その場でさらりと聞き流せるほどの冷静さは持ち合わせていない。
「これぐらいは、反則にならないと思うんだよね」
 リーマスは、ぎゅっと手を握り直して微笑んだ。
 私は、頭に血が行き過ぎて、夜空もないのに、星が見えそうだった。