Rhythm,Rhythm
ぼくのおと と きみのおと


 彼女、は、大概の生徒からは変人だと思われている。天才と変人は紙一重だなんてよく言われるけれど、彼女ははっきり、そういう類なのだ。広い大学内、しかも音楽大学とあれば才能ある人物は山程いる。でも彼女はその中でも一際目立っていて、それでいて誰とも関わりを持たず、話をするのは主に担当講師だけという非常に孤立した立場なので、変人と呼ばれてもおかしくはない。変人というか変わり者というか、要するに相当普通ではない雰囲気を醸し出している。そしての魅力を構成しているものの一つはその雰囲気だと、僕は常々思っている。

「ごめん、リーマス!目覚ましが鳴らなくって…」

 赤い顔でマフラーを首から外しながら、彼女は向かいの席に座った。すぐ近くのバス停から喫茶店まで走ってきたのか、息が乱れている。僕は「気にしないで」と言ってからミルクティーをもう一杯注文した。ふと窓から見えた空は雲に覆われていて、街路樹は風に揺れているし、外は僕が店に来たときよりも一段と寒さを増している気がする。お昼少し前なのに目覚まし?とも思ったが、この肌寒い時期に、ましてや休日に正午までに起きるというのは、面倒くがりな彼女にとってはとても過酷なことなのだろう。しかしこう言っては何だけれど、面倒くさがりと恩知らずは必ずしも比例しないものだ。人の噂と事実とも、大抵同じではない…ということを、僕は彼女から嫌と言うほど学んだ。もう十分だと思うくらいに。

「…どれくらい待った?」彼女は肩に掛けていた小さな鞄を隣の席に置いてから、深呼吸で息を整えて、言った。
「君から呼び出しなんて珍しかったから、早く来てしまったただけだよ」
「本当にごめんなさい。えーと、実は大した用事じゃないの」
「別に大した用事じゃなくても、会えただけで嬉しいよ。…それで、どうしたの?」

 彼女は少し顔を赤らめて、それでも僕がさらりと言葉を流したので、それに合わせるようにしてさっきの言葉には何も触れなかった。付き合ってもう一年が過ぎたと言うのに、彼女は出会った頃とほとんど変わりがない。僕が彼女に出会う前に耳にした噂の中には、「氷みたいな女だ」というものもあった。そんなくだらない嘘を流したのは彼女のことを良く知らない人物に決まっていると、初めて会話した日に確信したのをよく覚えている。僕の探るような冗談にくすくす笑うの笑顔は、心をそのまま溶かしてしまいそうなほど温かいものだったから。
 本当に、わざわざ呼び出すまでもないと思ったのだけど。彼女の言葉で、ふと意識が戻る。そう言って鞄の中を探り出すので、一体何が出てくるのだろうと思いながら待っていると、掌でちょうど包み込めるぐらいの物が僕の前に差し出された。それが何であるか分かって、僕は思わずをまじまじと見つめた。

「明後日、コンサートなんでしょう。リリーから聞いたの」
「…どうして言わなかったのか、聞きたい?」
「まさか。それを聞くために呼んだんじゃなくて、あの、これ。リーマス、ああいう改まったコンサートは初めてで緊張してるんじゃないかと思って、作ってきたの。成功しますように」
「……」

 コンサートという単語をの口から聞いたときは、喧嘩になることを覚悟したというのに。彼女はにっこり笑って、手作りにしてはきれいな形のお守りを差し出している。僕は素直に驚いて、そして久しぶりに、とてもとても泣きたい気持ちになった。人の優しさというものにこんなに感動したのは、多分、生涯初めてだと思う。覚えている限りでは。
 温かいミルクティーが運ばれてきて、彼女の前に置かれた。ウェイトレスは新人のアルバイトの子らしくて、お盆を持つ手がカタカタと震えていた。彼女がそのウェイトレスの指先をじっと見つめていたので、僕は、きっときれいな指先だと思っているんだろうなという想像をする。彼女はピアノをずっと弾いているためか、手が普通の女の子よりも少し大きいので、それを気にしている節があった。
 僕としてはそんなこと、ちっとも気にならないんだけれど。
 ウェイトレスが行ってしまってから、僕は気持ちを落ち着けて、彼女の手からそのお守りを受け取って「ありがとう」とゆっくり言った。僕の温かい気持ちがなるたけ伝わるように努力しながら。

「喜んでもらえてよかった!」

 相変わらず外は曇り空なのに、ふっと日の光が差し込んだみたいに見えて、僕は目を細めた。




 次にに会ったのは、コンサートの一週間後だった。珍しく食堂で、何を食べているのかと思ったら一人で天ぷらうどんを食べていた。彼女は噂を立てられることを嫌ってあまり構内で話したがらないけれど、ここ数日全く会えていなかったのと、彼女があまりにも寒そうにうどんを食べているので、僕は何だか話しかけなければいけないような気持ちになってしまって、席にゆっくりと近付いた。

「ずっと教えなかったのは、照れくさかったからなんだ。言ったら必ず君は来てくれるだろうから」

 は割り箸でうどんを挟んだまま、少し驚いたように僕を見上げた。それからうふふと笑って、うどんを食べるのを再開した。ずずずと最後のお汁を吸い終わると、正面の席に着いた僕に「ごちそうさまでした」と言って笑い、お箸をどんぶりの上に置いた。目線を少し横にやると、離れた席に座っている女の子たちがの方を見て何やら話をしていた。「男の前では…」という言葉がちらりと聞こえた。

「…私が、あなたのこと見下すとでも思ってたの?」
「まさか。でも、君が僕よりうまいことは事実だよ」
「関係ないわ。あなたは彼らのオケの一員、私は違う。たったそれだけのこと、でしょう?」

 彼女が僕の後ろを見やりながらにっこり笑うので、ハッとして後ろを振り返ると、柱に隠れるようにしてこちらの様子を伺っている人影があった。ジェームズにシリウス、リリーまで。呆れて目を細くした僕を見て、ジェームズが小さな悲鳴を上げた。

「あっ」
「あっ、じゃない、ジェームズ!私もう知らないわよ」
「見つかったものは仕方ないだろ…」
「逃げる?」
「に、逃げましょ!」
、またね!」

「よほど、リーマスが怖いみたい」

 彼らが走って逃げて行ってから、は心底おかしそうな笑顔を浮かべた。彼女が学校でこんなに笑うなんて、今までになかったことだ。恐らくは彼らが共謀して、彼女がコンサートに来るように仕向けたのだろうけれど。そんなことを考えている最中、ふと時計を見ると休憩時間の終わりが近付いていた。

「それじゃ、もう行くよ」
「…言い忘れていたけど、コンサートとっても良かったわ」
「ありがとう」

 背を向けてから自分も言いたかったことをひとつ思い出したので、振り返って叫んだ。噂話に夢中な彼女たちにはっきりと聞こえるように。

「ねぇ、また君のピアノが聞きたい!」
「ばか、いつでも聞けるでしょ。大声で恥ずかしいこと言わないでよ」

 ねぇ気付いてる?君も十分大きな声だってこと。僕は大笑いしながら手を振って、やけに晴れ晴れとした気持ちで歩き出した。やっぱり、彼女も僕も変人なのかも知れない。去り際に、驚いて目を丸くしている女の子たちを見ながらそう思った。



秋オケ企画さまに提出させて頂きました!素敵な企画をありがとうございました。