Q.E.D.



4.

 ――つまり……
 ――というわけで……

 シリウスが何か言っている。
 ただ、シリウスだというのは“辛うじて”分かっているだけだ。僕は、彼の綺麗な鼻梁と口元だけをぼんやりと視界に認めながら、頬杖をついて全く違うことを考えている。

 談話室の真ん中のソファに腰を下ろしてから、もう1時間は経っただろうか。
 今日の授業で出されたペーパー課題もとうに終わった。シリウスとリーマスは、頭の回転が速い(僕がどうなのかということは置いておく)から、さっさと終わらせて、苦戦しているピーターに教えにかかっていた。ピーターはいつも両脇から二人に教えてもらっているのに、何故か一人だけ出来が悪くなってしまう。いつもなら僕も会話に参加して、「北欧におけるドラゴンというシンボル」とか「ヒイラギ芯の杖の特性」とか講釈しているところだけれど、ここの所、気分の乗らない日が続いていた。
 それはピーターへの講義だけじゃなくて、いつもなら誰よりも楽しみにしている飛行訓練や悪戯にも言えることだった。
 どうにも調子が出ない。自慢じゃないけれどこんなことは今まで生きてきて初めてだった。
 原因がであることは、さすがにこれだけ長い期間彼女のことが頭から離れないのですぐに分かった(原因、というか、彼女自身に非があるわけではないのだけれど)。でもそこから先の話が全く進まない。いつもなら、何をアレしてコレして……とパズルのように頭の中で考えている筈なのに、どうしてもグルグル考えた挙句に、八方塞になってしまう。
 何をすることが「正しいこと」なのか、分からない。

「だから、この占いの結果だと教会の教えに反するから、否定されるんだって」
「どういうこと?」
「あー、だから、……ジェームズ、おい」
 突然呼びかけられて、僕はハッとシリウスを見た。
「えっ?」
「お前も教えてやってくれよ。ピーターがどうしても、この問題の解答に納得してくれない」
 シリウスは、黒髪を片手でくしゃくしゃとかき混ぜてため息をついた。
 ピーターを挟んでその隣のリーマスも、苦笑して僕を見ている。
「ああ……どれ、どの問題?」
 話の内容が全く頭に入っていなかったので、慌てて身を乗り出して参考書を覗き込む。
「全然聞いてないじゃん!」
「おお、シリウスが全力で突っ込んだ」
「おいこら、リーマス。真面目に」
 いつも通り軽口を叩き合っているシリウスとリーマスの間で、ピーターはただへらへらと笑っている。ピーターも最初の頃は申し訳なさそうにしていたが、何年かすると慣れてきたようで、「ごめん」と何度も頭を下げることはなくなっていた。
 リーマスは一頻り笑ってから、僕の顔を見た。そして徐に、膝に掛けていたブランケットを持ち上げて立ち上がる。 (あ、左隅に"R”の刺繍が入っている)
「ジェームズ、ちょっと来てよ」
「え? ああ、うん」
「おいっ、ピーターの課題は――」
 文句を言おうとしたシリウスを一瞥で黙らせて、リーマスは僕にニッコリ微笑んだ。
「ちょっとで終わるからさ」


 洗いざらい今の心境をぶちまけるよるように言われた僕は、馬鹿正直に、15分ほど喋り続けた。思春期の男というのは「秘密の多い人物」に憧れを抱くものだし、自分にも若干その傾向があらわれ始めていると自覚していたけれど、穏やかな彼の前では関係なかったようだ。リーマスの最大の秘密を知っている立場としては、彼に秘密を作ることに後ろめたさがあったのかもしれない。
「ふむ」
 話を聞き終えたリーマスは、まるで愛猫の自慢話を聞かされているときのような、のんびりと緩んだ顔をしていた。
 寮の部屋で各々のベッドに腰掛けて、彼の優しい視線を浴びていると、不思議と気持ちが解きほぐされていくようだった。
「ジェームズ、僕はカウンセラーじゃないけど、君はちょっと問題を抱えているように見えるよ」
「知ってる」
 自分でもはっきりと。
 厄介なことに、今の僕にはそれが大きいのか、小さいのか、どんな形をしているのかもさっぱり分からない問題なのだ。
「そして僕はカウンセラーじゃないから、適切なアドバイスもできそうにないな」
「そうかな?」
「え、できそうに見えるかい?」
「見える、っていうか。よく後輩の女の子の相談にのってあげてるじゃないか」
「あれ、相談にのってるように見えるんだ」
 リーマスはおかしそうにくすくすと笑い出した。
「シリウスとジェームズに、彼女がいるかどうか尋ねられてるだけだよ。ただし本題は、教本を一緒に持ってきて、最初にどうでもいい質問をした後だけど」
「ふーん」
 その多くの女の子の中には、君に興味がある子もいるんじゃないかな。と、思ったけれど口にはしない。「そんなことあるわけない」と彼が絶対に否定するからだ。リーマス・ルーピンの自己評価というのは、この世で最も他人の操作が利きにくい物のひとつなのである。
「ともかくね、考えすぎはよくないよ」
「何か、……ありきたりだね」
「ありきたりっていうのはそれほど、よく必要になるってことじゃないかな?」
「そうなのか」
 彼にならべつに丸め込まれるのも嫌ではないのだけれど、日ごろから考えることで時間を潰している身としては、「考えすぎるな」と言われてもピンと来ない。
 リーマスは、また考え始めた僕に向かって微笑みを一層深くした。
「あとさ、『仕様がない』とか『成るように成る』とかも案外使えるんだ」
「使える?」
「笑って生きるのにってことだよ」

 彼の言葉尻にかぶせるようにして、階下からシリウスの「うがーっ!」という苦悶の声が聞こえた。
 僕たちは一瞬だけぽかんと顔を見合わせて、久しぶりに、同時にふき出した。
 ごめん、シリウス。