もう何度目になるだろうインク吸い取り呪文を、は暗い声で呟いた。杖の先に青黒いインクが吸い取られていくかのようなその光景を見るのもうんざりしてしまうほど、繰り返された行為だ。呪文の成功にいちいち感動していた昔が急に懐かしく感じられる。一年生だったあの頃は、レポートを書くために図書室へ行って本を借りてくるのにもまごついていて、ある意味スリリングな生活だった。英語が器用に扱えるようになってからはそんなこともなくなったけれど、そうなると、単純なレポートをハラハラドキドキ楽しめていた自分が羨ましくてしょうがない。 魔法薬学は大の苦手なのに期限ギリギリまで放っておいた私が悪い、そんなことはとうに分かっているから、今更反省会をしてその分の時間を取るようなこともしなかった。その代わり、ハーマイオニーに頼ろうと思っていたのに。彼女はいつものように読書に夢中で、反応と言えば、にべもなく「まだ今日一日あるわ! 自分で頑張んなさい」だった。自分の代わりにとハリーを私に押し付けてまた読書に没頭する彼女を、あれほど恨めしく思ったことはない。なんて自分本意、でも残された時間はあと僅か。イライラしているから単純なミスでさえ大きな失敗に繋がってしまう。薬草の成分、単体での効能、混用した場合の影響、薬液製造の手順、そしてその使用例……。 「あぁ、地獄」 「地獄?」 「気にしないで。疲れてるだけだから」 机を挟んだ向かいで、ハリーが私の発言に首を傾げている。彼も魔法薬学は好きではないはずだけれど、私のようにとことん苦手と言うわけではない。何故だか知らないが彼はスネイプ教授に心の底から憎まれているようで、せめて提出物だけは嫌味を言われてたまるか、と意地になって早めに書き上げたらしい。そのとことん負けず嫌いなところは好ましいけれど、手伝ってくれるわけでもなくただ向かいで本を読んでいる彼を見ていると、苛立ちも募るというもの。 「ハリー、ねぇこれ、スペル合ってる?」 「自動翻訳羽根ペンを使えば」 「あれ高いんだから、買えるわけないでしょ」 「……そんな材料使ったっけ?」 むっとしながらも素早く目次を確かめると、呆れたことに、調べるべき所とはまったく違う項目を見ていた。私は一気に脱力して、机に突っ伏した。もうだめ、私ホグワーツでこれからもやって行く自信ないわ。我ながら情けない声で呟くと、「大丈夫、まだ間に合うよ」という同情交じりのハリーの声が頭のてっぺんから響いてきた。彼って、女の子に対してこんなに甘い声が出せる人だったっけ? 「この部分から直したら、明日までには書き上げられると思うけど」 「あぁ、うーん……間に合うかもね。でも、もう気力が残ってない」 「手伝ってあげるから」 「本当かなぁ」 「本当だよ。ちょっと待ってて、僕が使った本取ってくる」 まさか本気で手伝う気になるとは思わなくてびっくりしていると、その間に彼は深緑色の分厚い本を手に帰ってきた。今度は真向かいではなく私の隣の椅子に座って、真剣な顔でページを繰り出す。彼はしばらくページを行ったり来たりして、それから指で示しながら私に言った。私は机に突っ伏したままで、その手元を見た。すらりと伸びた指には、クィディッチ選手特有の傷あとがたくさんついている。しばらく見惚れてしまうほど、それはきれいだった。 「ここ。詳しく載ってるから、写したらいいよ」 「えっ? あ、うん」 「……、今日中に終わらせる気ある?」 「あるある、いっぱいあります。どうもありがとう」 机から起き上がって恐縮のポーズをとると、ハリーは苦笑しながらどういたしまして、と笑った。いつになく近い距離に、ドキリとする。お決まりのパターンだけれど、こういう時についつい憎まれ口を叩いてしまう可愛くない性格を、いつかどうにかしたいと思う。だってそうしないと、彼との距離がいつになってもなくならない。 「手伝ったって、何も奢らないよ? お金ないから」 「いいよ別に。そんな可哀想なことさせられないしね」 「ほんと、ハリーは失礼だ」 「それはお相子」 「何、もういっぺん言ってみなさい」 「はいはい。早く写しなよ」 早く終わらせて一緒に外に行こう。彼の言葉に、羽根ペンの先を勢い余って潰してしまった。知らず真っ赤になった私の顔を見ながら楽しそうに笑う、彼の緑色の瞳がキラキラと眩しくなって、私はさっと顔を伏せた。 Song of Apkallu
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